2024年4月21日10時より、「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」を行います
テーマは:「法然上人とその弟子たち:弁長・親鸞・証空
法然上人が阿弥陀仏の救い、称名念仏の教えを始めて人々に説いてから、今年で850年の節目を迎えます。
法然上人の開いた称名念仏の教え、阿弥陀仏の救いの教えを弟子たちはどのように受け止めたのかをご一緒に学んでみましょう。
「尼僧と学ぶやさしい仏教講座」は、どなたでも歓迎いたします。お気軽にご参加ください。
★過去の講座のテーマより
◎本当の「終活」とは何か? 「終活」は葬儀社の販売ツール? 葬儀やお墓こと、遺産の配分などを決めることが「終活」か? いくつになったら終活すべきなのか? 自分の人生と真摯に向き合うことが本来の「終活」 ◎人間の「老い」と「死」の問題に真剣に取り組んだ仏教 イエス・キリスト→33歳 ムハンマド(モハメッド)→60代前半 釈迦→80歳 *釈迦は人間として生まれ、人間として老い、人間の肉体を離れていった。 *キリスト教にとっては、イエスの「復活」が信仰上、最も大切 *ムハンマドは病死。「神の使いが死ぬはずはない」という声を否定。ムハンマドは使徒。 永遠なのは神のみ ◎釈迦の最晩年の様子と死の直後の状況を詳しく述べた経典→『大パリニッバーナ経』 (大般涅槃経)→岩波文庫『ブッダ最後の旅』 ◎仏教の目的は真実を悟り、輪廻から抜け出て涅槃に入ること →釈迦は35歳ですでに悟りを開いていたが、肉体による制限は続いていた。肉体的な死 によって、そのすべてから解き放たれる→大般涅槃→「般」とは完全なという意味 ◎釈迦の晩年 *70歳の時に、長年の弟子である舎利弗(シャーリプトラ)と目連(マウドガルヤーヤナ)が 死ぬ。目連は異教徒の襲撃で死亡。 *釈迦国の滅亡 *釈迦の弟子は増え続け、教団と言ってよいほどになっていたが、釈迦は「遊行」を続け ていた。 ◎ブッダ最後の旅 ①マガダ国の首都王舎城を阿難(アーナンダ)だけをつれて出発。舎利弗と目連のふるさ とのなーらんだへ向かう ②ヴァイシャーリーで安吾に入る→釈迦は激痛をともなう病気に 「譬えば古ぼけた車が皮紐の助けによってやっと動いていくように、おそらく私の身体も革 紐の助けによってもっているのだ」 →この言葉のすぐあとに、阿難に向かい「さればアーナンダよ、なんじはみずからを明と 1 みずからを拠り所として、他人に依拠せず、法を燈明として、他を依拠することなくして 住するがよい」と語った。 ③「悟りを得たものは、もし本人が望むなら一劫でもこの世にとどまることができる」と阿難に 告げる。 しかし、阿難は「ならとどまって下さい」とは言わなかった→釈迦は三か月後に入滅すると 予言 |